CAUTION
僕が一人きりで初めて旅に出た時の話をしようと思うのだが、いいだろうか?
もう5年も昔のことなので、持病の健忘症甚だしく、疑わしいこと並々ならぬのだが、
笑い話にでも留めてくれればそれにこしたことはない。何より不安なのは、このとんでも
話を真に受けた誰かが現地に行ってしまわれることであるが、その方々の勇気を保証する
だけの記憶力と道徳がこのサイトに無いということだけは、確固たることとして断言して
おこう。このサイトに足を踏み入れた人間ならば必ず、全ての話に通ずる事実の破綻を知り、
現実と幻想の間を闊歩するうちに矛盾に気づくことだろう。この前置きと言うのも、物も
わからぬ赤子のお昼時に見る白昼夢の底なし沼に、無邪気なあなた方がどっぷりつかること
のないよう警告しているのである。
JOURNEY IN VIETNAM
僕は5年前、確かにベトナムに行った。真冬のことだ。新年明けてすぐだったと思われる。
独身で、給料の良い仕事をしていたから、これから頻繁に旅行にいけると喜んでいた時期だ。
彼女はいたが、僕は根無し草のように、はたまたサザエさんに追いかけられているドラ猫のように、
僕は一人でいろんなあぶなかしいところを放浪するのが希望であり、夢であったから、
ベトナムへの一人旅を常々希求していたのである。
なぜ、ベトナムかといえば諸説ある。まず、僕はアジアのどこかの国に行くことは決めていた。
金はあるが、時間は無いからだ。僕はまだ若いし、ヨーロッパなどは年を取ってから家族と旅行する
でも良い。アジアンを経験するには、独身時代がいいと思ったからだ。アジアンリスト中で、
とあるバーのオカマに捕まって掘られたくなかったし、学のある人間だと殺されるような
危険極まりない場所にも行きたく
なかった。
また、「世界のゴミ捨て場」と呼ばれるほどのかつてのイギリスの植民地に行くにも
まだまだ経験値が足りないと見え、大便を放った尻を左手で拭き、自分の家の家具調度品や
ご近所周辺にマーキング行為をするような人種に出会うにはまだまだカルチャー
ショックが大きすぎる
ように思えた。
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しかも、ある準学術的な雑誌に載るような権威ある人の記事によると、
河にその足を浸しただけで、河に生息する寄生虫が皮下に潜り込み、その体を犯すと言うから
恐ろしい。そのような僕なりの理由をこじつけて、結局消去法で絞られた国がベトナムだった。
父は、小麦粉の俗称となっている国(あえて言わないが)が上空から撒き散らした、全世界の中で
もっともいらない廃棄されるべき打破されるべきモノのうちの一つが、僕の体に食物という形で
吸収され、奇形を及ぼすのではないかと恐るべき見解を下したが、まあそれも約40年位前の話
だからというので、僕は心配しなかった。
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飛行機で5時間くらい掛かっただろうか。到着したのは向こうの時間で大体4時くらい
だったように思う。空港から出ると、第一に騒音だった。何の騒音かと言えば、バイクの群れ
である。蜂がクマンバチに襲い掛かるかのごとく、凄まじい勢いで縦横無尽に道路を駆けていく
バイク。ベトナム人の移動手段はまさに、バイクである。彼らが一体どこへ向かう
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のか、わかる
由も無いが、彼らに唯一危険があるとすれば、それは彼ら自身の命であろう。何しろこの写真を
見ればわかるように、誰もヘルメットなるものを被っていないからだ。知っての通り、我が国の
交通事故での死亡者(率)は、断然バイクに乗っていた者が多い(高い)。身を守ることの出来ない
彼らの死亡原因は首の骨を折ったり、頭部を強打したりすることによる。何より、高速で走る
乗用車、トラックとの接触・衝突がバイカーの命取りになる。しかし、こちらベトナムのこの
状況では、バイクとバイクの接触でも「ありさんと ありさんが こっつんこ」のように笑える
話ではない。生命の保障という福祉的な面の保全はまだまだ不十分ではあるけれど、しかしながら
道路を行く膨大な数のバイクからは、生産力・経済力の発展、急成長が窺われ、今後に期待
できる国という印象を受けた。
僕は、英語もベトナム語も命をつなぐほどに習熟してなかったけれども、あてもなくぶらぶら
するでもなく、そのバイクの群れの向かう方を歩いていた。それでいて、地球の歩き方を持参
してよかったとその地図を当てにしながら、今日の晩御飯を食らうためにあるロマネスク式の
建物に足を踏み入れた。薄ピンク色の壁が500年以上のものではなく最近立て
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たものだなと思っ
たが・・・ああ!!
間違えた。この建物は歩道の左手に見えていた立派な建物だなぁと撮っただけで、
向かい側の暗き闇の中にぽっかりと照らされた建物がそうであった。昼間には白亜の大胆な
ゴシック宮殿と見紛うほどの美しい作りのレストランである。このレストラン内は、盲目と同様
の不自由さを感じるほどの暗さで、わずかにテーブルを照らす明かりと片言の英語を喋るひょろ
長いウェイトレスの男を頼りに、僕は席に着いた。
そこで、ビールとおつまみとスープを注文し、
軽い夕食をとった。ビールのラベルは御覧のとおりSAIGONと書いてある。
それは僕がちゃんと
ベトナムに行ったことを証明するものだと思っている。

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サイゴンはすなわちホーチミン市の
旧称であり、ホーチミンはすなわちベトナム最大の経済都市であるからだ。また、ホーチミンは
人名としてもあり、(というより人名から地名が付けられたのだが)、ベトナムを共産主義の国と
して独立させたベトナムの政治家の名前であるから、僕がベトナムにいったのは間違いない事実
である。
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しかし、そのタイトルの下にexportと書いてあるところに多少の疑惑が浮上する。(
輸出品で我が家をアレンジして、ベトナム風居酒屋を捏造したのではないかとそう考えられる
からだ)。しかし、以下の写真でまたもや僕がベトナムに来ていることを間違いなく照明して
くれた。因みにこのビール僕の口には合わなかった。因みにグラスの値段は約1000円、蓮華と
蓮華受けは500円(ベトナム相場)、箸置きは300円、他の食器は面倒くさいから各々550円で、
爪楊枝は一本3円と読んだ。
右の写真と言うのは、見ればわかるが、ベトナムの民族衣装を纏って、放心して、民族音楽を
奏する四人の楽師である。右の楽師から、太鼓(1万円)、琵琶(3000円)、琴(5500円)、笛
(300円←お土産屋さんで売っている)と僕は推定する。背後の城は、中国のお城かと思ったが
紫禁城じゃないだろうか・・・。冗談のつもりでそう言ってみたのだが、
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その上の文字に(小さく
て読めないと思うが)Nankingと書いてあり、どうやら天才バカボン功を奏したようだ。勿論、
蓮は造花。ダイソーやキャンドゥで買ったとは思われない。おそらく1本350円弱。

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食べていった中に、かたつむりもあった。初めて食したので、戸惑いを感じたが、持ち前の勇気
でカタツムリの恐怖を克服した。思ったほどではなかった。むしろなんでもなかった。幼稚園児
のころに食べたアリやダンゴムシよりは12倍美味しいし、一番近しいのは小学生の時に給食で
出たバターにつけて食べた体育館裏に生息していたナメクジだ。
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相違ない。ベトナム人はよく
よくこんな美味しいものを見つけるなあ。
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